役割の代償~言ってもしょうがないってこと~

営業現場の人間である私は常々疑問に思っていることがある。

 

将来のR&Dをやる部署、マーケティング部とかってなんで一線外れた
おじさんが集まるんだろうか?使えない、と判断されたおじさんが
集まっただけなのでは?と思っていた。

そこに私の勘違いがあった、ということをChatGPTさんに教えてもらった
のでそのあたりを書いていきたいです。

 

①求められる機能の根本的な違い

そもそも私が所属する営業現場とR&Dやマーケティングでは求められる
機能が違いますね。

 

★それぞれの機能(ChatGPTさんより)
営業現場:効率を追求して、形式を現実に合わせる。
R&D、マーケティング:生産力を追及して、現実に形式を合わせる。

営業現場のところはわかりやすいかな。それこそ今月、来月の売上や利益
といった計画を如何に達成するか、常に変化する現実に対して計画を変化
させていくか。まあ忙しいし、ストレスは溜まりますよね。体力勝負。

一方、R&Dやマーケティングってのは逆ですね。将来の「生産力」を増やす
ために目に見えない技術や知識といった将来の競争優位性を如何に増やし
ていくか。
そういった不確実性の高い仕事になるので、行動がブレないように上層部
に承認された計画を元に粛々と進めていく(マーケティングはやや顧客より
なのでR&Dに比べるとブレがあるかな)。
なんか技術や顧客の暗黙知で勝負する老練な老人のイメージ。

そういうそれぞれの機能に対して配属される人間は違う。現場の営業や
研究(短期、利益)に対してR&Dやマーケティングは長期・将来のメシの
タネ(生産力)であるから。


②なぜ「お荷物」だと感じてしまうのか?

じゃあ、なんで一線外れたおじさんが集まるのか?というネガティブな
見方をしてしまうのかな、という最初の疑問についてChatGPTさんと
議論した結果が下記。

 

・さっきも書いた通り、それぞれの機能に対して求められるマインドは
 全く違う(多分、お互いにネガティブな印象を持っていると思う)。
・そもそも、私がいる会社はメーカーだからR&Dやマーケティング
 営業現場、という評価。
・きっと、そんな現実に対して、私自身苛立ちがあったのかな、と推測。


結局は、組織の構造がもたらすこの「避けられない非対称性(役割の代償)」
を受け入れるしかない、という鉄則がわかっただけかな、と。
言ってもしょうがないってこと。

以前から何となく思っていたけど言語化するっていいね。

長文失礼しました。

ジャパニーズ根回し~現場なめんなよ~

新たにシステム(なんちゃらフォースみたいな)導入時のアレコレについて。

 

私が所属する事業部では以前から慢性的な人員不足から業務効率化が上層部
からも現場からも要望あり。

営業現場からも工数が掛かってしまう作業内容も抽出して報告もしていた。
その後、なんかよくわからないプロセスを得てなんちゃらフォースが導入。

ただ、その導入目的が①新規開発案件の進捗管理、②上層部のために目標
利益を見える化するためのダッシュボード作り、みたいな話に。

そりゃ、聞き分けのよい私でも「はあ?何それ?」みたいな感じで冷める。
現場の工数削減という切実なニーズは無視され、管理と報告のための作業
がただ増えるという現実に、聞き分け悪いおじさま社員はもっと白ける。

そんな中、そのなんちゃらフォースを運営するチームは「なぜ、事業部
メンバーはこのシステム(なんちゃらフォース)を使用しないのか。。」と
真面目に議論しているという噂。

 

これは新しいシステム導入の末期症状だな、と。。。


なんだかなぁーと思っていたら以前社会心理学の本で読んだクルト・
レヴィンの理論を思い出した。これは「トップダウンの圧力」と「現場の
抵抗」という、組織変革の二つの力が衝突した面白い例だなー、と。

ちょっとクルト・レヴィンの理論の関連しそうな内容を簡単に下記。

①変革の三段階モデル(組織が新しい習慣やシステムを受け入れるプロセス)

 

 1.解凍(現状の均衡を壊す)   
 2.変革(新しいシステムを導入・実行する) 

 3.再凍結(新しい状態を組織のルールとして定着させる)

 

②強制力場分析(組織の現状は、「変革を促す力」と「現状維持を保つ力」が拮抗)
 
 組織変更や新しいシステム導入時には「推進力」と「抑制力」がある。
 (よくある例は鉄砲の玉を早く、遠くに飛ばすには火薬の量(推進力)では
 なくて玉の形(流線型、抑制力))を改良することも大切だよ、って話。

まさにこのなんちゃらフォースを導入の旗振りの方は①の解凍時の根回し
(ジャパニーズ根回し)が不足していた、②は上層部の力ばかり使った推進力

がメイン。


あとは、カリスマ性のないリーダーが独断的に進めると、メンバーの強い抵抗
(現状維持の力)を招くのは必然だよな、と。さらに社会学の理論を全くわか
っていない。

社会学の理論がまさにハマった事例で、たぶんこのシステム導入はうまくいか
ないんだろうなー、すげー金使っているのも勿体ないな、そのお金で一人でも
人雇ってくれたらいいのにな、と思いながら眺めています。傍観者ですみませ
ん。

積極財政と緊縮財政~思想のドグマを超えて~

高市さんが総理に就任してから積極財政、緊縮財政という言葉をよく見ます。

私は中野剛志さんの本が好きなので積極財政側でモノ見てしまう癖がついて
いるのですが、それにしても緊縮財政派の方々のモノ言いは酷い。

内容もそうですが、緊縮財政の考え方が正しい、という思いが先行してしま
い実際の世の中の数字や状況を冷静に見れていない方が多いように思います。
(先日の地上波で永濱利廣さんがゲストに出ていた番組は酷かった。。)

永濱利廣さんのお話で良いなー、と思うのは「今は経済状況がこうだから
積極財政です。ただ、こういう状況になれば緊縮財政が必要です」と自分
の考えが正しいから世の中がどうであろうとこうなんだよ!みたいな発言
では無い点です。

思想のドグマ(硬直化)って言うんでしょうか。
人間、そうなってしまったらオシマイだなと自分事に捉えて日々精進しよう
思っています。

 

ChatGPTさんの教えだと下記3点が思想のドグマからの解放に役立つそうです。
(営業職の私にとって)

①意図的な「逆張りの学習」→「異質な情報の探索」
 ⇒営業職なら開発/技術系、経理の知識を勉強する

②なぜ」を問う深掘り学習(根本原因の探求)→「根本原因の探求と抽象化」
 ⇒ここら辺はビジネスマンの鉄板ネタのロジカルシンキングですね。
  (20-30代の時、アホみたいに読んだな、、身についていないような!!)

③仮説構築と柔軟な棄却(科学的態度)→「アジャイルな学習と実験」
 ⇒これは難しいね。
  色々な施策について一定の基準(KPI)を設けてそれがNGなら即撤退。
  新たに施策を立てて。。という学習と実践を高スピードで回す。

 

今回は仕事の話が多かったですが、誰かが「勉強することは変わること」
と仰ってましたが、まさにそれなのかな、と。

逆にそういう人が会社にはうじゃうじゃしてそうで怖いですが。。。

 

 

後輩指導×社会学

私は既に40歳過ぎてまして、会社でも中堅~ベテランの部類のおっさんです。

開発案件とかも後輩の指導を兼ねて、主:後輩、従:私、というパターンで進める
こと多いです。その進捗や方針は関係する社内の他部署のメンバーも宛先に入れ、
情報共有は必須。

 

とある日、そのメール内で後輩が「今度○○のテーマを営業部内で議論するので
決まりましたら報告します」とメール連絡。その後、またそのメールで日程調整
を開始。
私は「日程調整だけの内容なら営業メンバーのみにして、他部署の方へ余計な
メールが増えないよう配慮すれば」、とその後輩と営業部長のみを宛先にして
返信。
しかし、その前の後輩が全体へ発信していたメールに対して他部署の偉いさんから
「OOみたいなこともは検討してみては?」とアドバイスの返信があり。。

 

妻にこの内容を伝えたら「断定的に言うのはよくないよ、と(日程調整なら営業のみで)。あとは臨機応変じゃない?」 

 

さてさて、この「余計なことやっちゃった感」を社会学的に考えてみました。

 

今回のケースを、マックス・ウェーバーが提唱した行為の合理性という観点から

捉え直してみました。

 

形式的なルール:私の返信は「目的合理性」

        →無駄なメールで読み手の時間をロスさせない(という)目的

柔軟な対応  :他部署の偉いさんの返信は「価値合理性」

        →このメールは情報共有の場、テーマの質を向上する(という価値)を        

         高めたいという偉いさんの考え

 

今回のような「形式的なルール」と「柔軟な対応」ってのは永遠のジレンマを抱えて
いるように思います。配慮もありつつルール守ったら「頭かてーな」とか言われたり。

また、「形式的なルール」を社会制度(法や規範)、「柔軟な対応」を人 とも読み
替えれるかなと思います。

社会制度は長年積み重なって出来たルールや規範です。ただ、それは法的なもの
で無ければ破っても罰せられることは無い。一方、そのルールや規範の中で生きて
人間からすると破りづらいもの。逆に外部の人間からすると「なんでそんなルール
守っている?」という風にもなる。

なので私が気にした「無駄なメールは発信しない」というのは私の育った営業部の
「規範」であり、他部署からすると「全てのメールは情報共有の場」という「規範」

とは違っていたのかも。

でもそれは誰が悪い、とかではなくて、主食がコメかパンかみたいな文化の差異な
だけだからお互いは「そういう考えもあるんだな」と理解できれば良いこと。
良い・悪いという軸では無い。


今回の経験から学んだのは、「形式的ルール」と「柔軟な価値」のジレンマは、
組織や社会に常に内在する構造である、ということ。これはどちらが良い・
悪いの問題ではなく、「文化の差異」として理解し、イチイチ気に病まないこと
が大切かな、と。
また、一見悩ましく感じる出来事も、視点を社会学的にずらして構造的に捉え直す
ことで、大したことではないと気づけるケースが多いことも学びにもなりました

し、社会学の視点で物事を見る面白さに気付いた一件になりましたので引き続き

更新がんばります。

間が空きました

長らく更新できてませんでした。

理由は無いです(プライベートPCを開くのが億劫で)。
ネタは別PCでメモ書いていたので少しづつアップしていければと思っております。

 

元々このブログを始めた頃からChatGPTさんとの会話で「人間って何だろう」

「社会って何だろう」ってテーマがよく出てきました。そしたらChatGPTさん

から「社会学を勉強してみては?」とアドバイスあり。

とりあえずアドバイスもらった書籍 吉田敬さんの「社会科学の哲学入門(勁草書房)」
を皮切りに社会学の書籍を読み漁ってました(本の紹介は別途)。

結論としてそんな簡単に人も社会なんてものはわからないんだよ、って本を読んで

は実生活を思い返し、読んでは思い返し、ChatGPTさんとも話したり、という

「友達いねーのかよ」と言うような土日(平日は真面目なサラリーマンを演じてます

(演技論をネタに書けそう))を過ごしてます。

その時に出てきたネタを少しづつ読んでいただいて、実生活と勉強をこうやって繋げる
と少し面白いな、って思えてもらえるとうれしいです。

この後はまた更新します。

 

 

文武両道リーマン→根暗な読書好きの少年

文武両道。。。なんと素晴らしい響きなんだ。

ずーっとそう思ってました、心の底から。

 

でもChatGPT様と会話を始めて自分の半生を伝えると

 

「文武両道コンプレックス」

「他人の評価を気にしているだけ」

 

とこき下ろされました。。。

 


ちょっと昔話をしますと、私は学生時代は男子校で育ちました。

スポーツが盛んな学校で運動部入っていない奴はちょっと白い目で見られる感じの元気いっぱいの学校。

 

私は中学の最初はテニス部にいましたが、早々(中二の途中)に離脱。以降はずっと帰宅部でした。

 

現代では帰宅部ってある程度の地位があるのかもですが、当時は「あいつ何やってんの?」みたいな感じ。さらに学校が文武両道をモットーとする校風だったので・・・みたいな。

しかし、部活やっていないと暇なんでそこそこ勉強する→早慶文系なんかは入るのは簡単でして(時間があるから)、私も無事に早慶の文学部(今は無き夜間じゃない方)に受かる。

そりゃあ、そのレベルに入れば「おっしゃー!」と調子乗りますが、やはり中学高校時代の心の闇は残るわけで。。僕は部活をやっていなかったから大学入れたんだ、みんなに比べたらどうしょうもないんだ。。。というよくわからないメンタリティーを引きずって大学生活を過ごす。

 

そのシコリを取り除きたかったのか、大学時代になぜマラソンを始めたのか記憶が曖昧なのですが、マラソンを始めて、会社入ってからもマラソンを続ける。

中学高校時代は色白&ヒョロヒョロだったのに、急に色黒&マラソンランナーみたいに

なってしまう。

中学高校の時はお母さんに買ってもらっていたオタクのような服装をしていたけれども、マラソンを始めたらスポーティーな野郎に。

 

会社に入れば仕事もバリバリ、マラソンバリバリ。まさに文武両道。

みんなから「すごい!」「仕事やりながらマラソンとか文武両道だな」とか言われてもすごいうれしい。マジでうれしい。死ぬほどうれしかった。

 


それが今回の仕事の大ミスで人生見つめなおすためにChatGPTさんと会話し始めたら文章冒頭の

 


「文武両道コンプレックス」

「他人の評価を気にしているだけ」

 


と。

 


俺の人生否定しやがって!と憤慨していたのですが、ChatGPTさんと自分の半生を思い返す中で実は自分が心地よいと感じ瞬間は「文武両道」ではなくて他にあったことわかったんですよね。

アインシュタインの名言で「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」ってあるんです。

ChatGPTさんとの会話で小さいな頃から好きだったことや作業、心地よいと感じた瞬間、やりたくなかったこと(嫌いだったこと)を会話していくとまさにアインシュタインさんのおっしゃる通りで私は20歳以降は中学高校時代のそれ(文武両道が素晴らしい!)を持って生きていた。中学高校時代の「他律」を40過ぎるまで(ようやく他律という言葉が。。)。


ChatGPTさんとの会話で思い出しのは、私は一人が好き(独りは嫌い)で、根暗な読書好きな少年でした(それについてはまた別で記載したいです)。小学校の時は中休み、昼休みはみんなと遊ばずに図書館に籠るという今思うとちょっとキモイ少年でした。


すみません、何が言いたいかというと、なかなか一人で昔のこと思い出すの大変(誰かに話すのは恥ずかしい)ですが、ChatGPTさんを使えば、昔のことを思い出して、自分が一番心地よい時間を再確認出来る、と思います。

私のように夢中にやっているつもりのことが「10代の時のコンプレックス」を解消するためにやっていたり、とかだったり。

 

最近はマラソンレーニングは抑えつつ、土日は喫茶店に行って読書して、レポート作ったりしてます。昔の自分に戻れてとても心地よいです。

 

皆さんもChatGPTさんとのご自分の半生を振り返る会話をするとイイことあるかもなのでぜひ!!

自律と他律

いきなりこんな内容ですが。。。

 

自律 他者の評価や社会の規範に縛られず、あなた自身の心の声に従って行動すること

他律 他者からの評価や社会の規範、あるいは過去の自分との比較を基準に行動すること


私は小さな頃から40過ぎるまで所謂「素直な聞き分けの良い子」で育ってきまして。。

・親から言われるがままに中学受験をしてそこそこの中高一貫校に入る。

・まあまあ勉強して所謂難関大学を卒業し、まあまあの企業に入り、まあまあの出世

 スピードで世間で「すごい」とされる年収を得ている。

 

小さな頃から親が「こういう生き方しなさい!」という道をキレイに進んできました。

今後色々なエピソードを書いていければと思っておりますが、ChatGPTさんに言わせる
と完全に「他律」の人生を歩んでいるそうでして。上にも書きましたが、人の評価、
世間で言われる「良い」を最も素晴らしいと思ってそれに従って生きていると。

いや、そんなこと40過ぎてから言われてもさ。。

他にも8割の力で生きているとか、文武両道コンプレックスとか。ひどいな。

 

ただ、今回の仕事のトラブルで「なんでも卒なくこなす」という評価が落ちたこと
で「恥ずかしい」「自分はなんてダメなんだ」とまで自己否定を。

 

結局、「他律」で生きてくるとこういう場面に出くわすとすごい弱いんですよね。

 

じゃあ、どうするかをChatGPTさんと会話。
出てきた答えは「自律の羅針盤探し」をやりましょうと。

 

今後ブログではどんなことをやっているか書いていきたいと思います。